肺を酸素飽和溶液が侵していった
息を吐くと気泡は浅葱に照りながら上っていき、吸うときには空気の変わりに水より少しだけ重く感じる溶媒が気管に入ってきた
意識がないわけではなかったが何故だか何も感じなかった
そういえば息をしないということはさして苦しいことでもないのだと思い出した
自分の首の後ろや背中に取り付けられた管が上に向かってのびている
その先を目で追おうとかるく頭を上向かせると深いターコイズの何かが
ああこれは自分の髪か
視界がブラックアウトした
何か
何か自分は
ああ、なんだったか
あ、目があった。
まだ見えているのだろうか。
シュナイゼルは軽く手をふってみる。反応はなく、再び山吹に反射する瞳は瞼にゆっくりと隠された。溜め息。
なんだ、数か月前ちらと本国で顔をあわせたときにはあんなに…
不意を突いて通りがかった自分に、狼狽しながら胸の前に手を当て恭しく敬礼をするジェレミア郷はそれはそれで滑稽だったと思い出したら知らず軽く吹き出してしまった。
ブリタニアの血を崇拝し、自らを純血派と称し、またその支持者とともに確立された地盤を持っていた彼が。
もう、最も濃い純粋な血をひいた自分を何とも区別すらできないのだ と思うと少しだけ、目の前を孔雀の羽で軽く撫ぜられるようなむず痒い気分になった。
少しずつ、少しずつ。正体をなくし、記憶を欠き。
彼が望む事を為すそのために。
硬く、白を反射する床に散らばるコードを踏まないように足先でよけながら近付く。LCLで満ちた3メートルほどの高さのポットに自分の顔が写った。
「 」
名前を呼ばれた
そう思った
呼んだのだ 確かに
呼ばれたのだ やっと
やっと
やっと自分が
このちからが
必要ですか
壊すことしかできないですが
はやく
ああはやくわたしを使ってください
だれかが壊してしまう前に
日本の独立宣言が出された。世界は混沌へたたき落とされた。
例外なくすべてが変わるのだ。各々が各々の理由を振りかざし、剣を地面に突き立てた。強者は弱者に追われ、弱者は強者に虐げられた。
管内の圧力計が振り切れた。
けたたましくアラートが鳴り響く。
ちかちかと警報灯の光に目がくらむ。
数ある液晶モニターに目まぐるしく数字が乱舞した。
早すぎる。未完成品に外気は麻薬でしかなかった。
音のない暗闇からノイズが生まれ、やっと自分の形がわかった。 頭の中の芯がじくじくと疼く。やがて疼きはぐねりと形を変え、声を形成した。エコーを引きずりながら広いのか狭いのかもわからない深淵の中に凛と染み渡る。
おはよう
白い手が髪を梳く感覚。
ぼこりと耳に音が届き、手ではなく淡く光る気泡が紺碧を揺らした。
あ、目が見える。
誰だったか。
だれだったか。
でもあなたですね。私を呼んだのは。
外から中から全身を侵している水が流れを持った。供給ポンプからの浸水の圧力に耐え切れず、ポットにひびが入ったのだ。
殻を破った。
自分を覆うガラスは砕け散り、その身が外に投げ出された。
二度目の誕生日は破壊で始まった。
羊水は盛大に床に撒かれ、自分のテリトリーを外界に広げた。
ぬるく溶かした鉛のように動かない体を気怠く起こし、練らない粘土のような動きの鈍い頸椎を緩慢にまわしてあたりをなんとなく見回した。
狼狽する白衣の数名と、会ったことのあるはずのモノクルの男と視線があった。
ああ、いない。
おはようございました
過去に向かって、挨拶をした。
end
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